ROAD to ACONCAGUA ①トレーニング編

〜プロローグ(2022年3月)〜

始まりは後輩から送られてきたとある一枚の写真だった。アフリカ大陸最高峰・キリマンジャロの山頂(正確にはその直下のステラ・ポイント)でソイポをしている写真である。

この写真がどう自分の琴線に触れたかハッキリと覚えてはいないが、悔しさと憧れが綯い交ぜになった気持ちにさせられたように記憶している。

コロナで3年ほど海外旅行に行けておらず次の1年後に久々にどこか海外に出ようと考えていたこと、そしてコロナで外に出る用事が減り時間が取りやすかったことを併せ考え、

「1年しっかりトレーニングして海外峰をやる」

これが自分の目標として決まった。

登る山を決めるのにはそう時間はかからなかった。後輩は元々体力はあったが日本でガチガチにトレーニングしてからキリマンジャロに登っていたという訳ではなかったので(今思うと怪物だが)、7大陸最高峰のうちプロレベルのエベレスト、マッキンリー、金銭的な問題があるヴィンソン・マシフを除き、素人が太刀打ち出来る最も高い山・南米最高峰アコンカグア(6961m)が1年を賭けるに値する山だと判断し、その後輩にも声をかけ一緒に真剣に目指そうということになった。

とはいえ当時の自分は喫煙者、週7ラーメン、中高大帰宅部で運動経験とは無縁で何をどう始めればいいのかよく分かっていなかった。アコンカグア登山者のブログを見ても、登山道具や登山中の様子が綴られているだけで「どれぐらいの体力の人間が、どういったトレーニングを積んでスタート地点に立っているのか」という点が不透明であった。故に、アコンカグアのブログを書くに当たって最も大事にしたいと思っていたのはこの「スタート地点までに自分が日本で何ををしたのか」について紹介する事である。

これから海外峰をやりたいという過去の自分のような人に向けて書くつもりなので興味の無い人が大半かもしれないが、これから登山や運動を始めようと思っている人の参考に、あるいは自分よりもっと経験豊富な諸氏からこういったトレーニングも良いというアドバイスを頂けたりして交流出来る場になれば嬉しい限りである。

 

〜春 ランニングか、筋トレか(2022年3-5月)〜

運動経験の無い人間にとって、まず思いつくトレーニングといえばランニングと筋トレの2つだろう。しかし、この2つが相性が悪いのは何となく始める前から察しがついていた。ムキムキのマラソン選手は存在しないからである。

そこで、どちらに自分のトレーニング時間を捧げればよいのか、オタクらしく本に頼ってみることにした。

全700ページほどもある

結局1年間ずっと重宝することになった「登山の運動生理学とトレーニング学」という本である。これはたまたま南アルプス鳳凰小屋の青年のブログを読んでいる時に知ったのだが、海外峰のバイブルのような存在として一部では有名な本であるようだった。

この本によると、「高所登山において筋肉をつけすぎると身体の酸素要求量が増え高山病になるリスクが大きくなり、またパワーに頼り短い時間で完遂させる登山に傾倒するようになるのでこれもまた高度順応の観点から良くはない」(要約)とのことであった。しかし筋トレをやらなくていいということでは無いので、あくまで位置付けとして「ランニングがメイン、筋トレが補助」というスタンスでトレーニングを開始することとした。

そうと決まればひたすらランニングだ。3月の頭から始め、5月末にまずハーフマラソンを完走するという目標からスタートした。

2022/03/21 初めての10km完走

この頃はメニューもへったくれも無かった。ただ毎日走って、辛くなったらやめるといった感じで継続を図ることが目的だった。ランニングを始めて3週間ぐらいで初めて10kmを完走した時のタイムは56分57秒(5:40/km)であった。

ここで続かなかったらアコンカグアなど到底夢のまた夢で終わっていただろうが、初めて10kmを完走した時の嬉しさを未だに覚えていることからも分かるようにランニングで小さな目標を達成していくこと自体がとても楽しかった。トレーニングを続けるコツは、健康のためとかそういう大義名分でやっていてはつまらないのでそのトレーニング自体のレベルアップを楽しむことだと思う。

2022/05/05 南八ヶ岳連峰・赤岳頂上にて

そして日々のトレーニングをしつつ、実際に登山に慣れ親しむことも初期にやるべきことであった。

5月のGWには初めてのテント泊で南八ヶ岳(赤岳、横岳、硫黄岳)を1泊2日で縦走した。目的としてはアコンカグアを見据えテント泊に慣れるということだったが、それよりもランニングを始めたことで身体が軽くなったような楽さに刹那的な喜びを見出していたことを覚えている。

このように、1年間の過ごし方としては日々のトレーニング→イベントでその成果を確認、の繰り返しであったのでブログもそれに従って書いていこうと思う(日々勉強して模試で実力を確認するようなもん?)。

そして、より行動に適した身体にするためこの時期には減量も行った。

これも正しいことをいえばしっかり筋トレをして代謝を良くし、適度に有酸素運動をするのが一番痩せるのだが、そんな悠長なことを言っていては1年はあっという間に過ぎてしまう。自分は業務用スーパーのスモークチキン1kgを買ってきて、たまのチートデーのラーメン以外は炭水化物抜き、毎日スモークチキンと納豆のみを食べ腹が減ったら水を飲む(1日5-6L飲んでいた)という生活を続けた所2ヶ月で72kg→60kgに落ちた。今思うと明らかに良くないやり方だったが、山で腹が減っても行動しなければならないという状況にも耐性が出来た点ではその後に生きた経験だったと思う。

またこの時期には誘われて初めてトレイルランというものもやった。自分の住む京都には京都一周トレイル(全82km)というグルっと市街地を取り囲むような山々に整備されたルートがある。いくつかにコース分けされているので短い距離から取り組むことができ、初めてのこの日は23kmを設定してもらった。平地でさえキツい距離だったが何とか後ろについて行き完走した。「その時点での自分のキャパを超えるようなイベントを設定し精神力で何とかする」のが荒療治そのものだが大きな身体能力の向上に繋がる、というその後の指針になる考え方はここで得た気がする(ただし怪我には細心の注意を払った)。

初のハーフマラソン1時間37分53秒(4:38/km)でゴール。当初2時間切りを目標としてランニングを始めたことを思うと好タイムだった。

【まとめ】

・メニューなどは作らず、1回5−10kmのランニングで月間走行距離は50-100km

・筋トレはまだほぼやっておらずYouTubeの5分で腹筋バキバキ!みたいな適当な動画を家で空いた時間に見た 

・減量は炭水化物抜きダイエットで

・登山はせいぜい日帰りか1泊2日程度の山行のみ

 

〜夏 精神と時の南アルプス全山(6-8月)〜

前編でランニングに捧げる、と意気揚々と宣言したものの梅雨&京都の猛暑の時期が襲い来る。初めの内こそ室内のランニングマシーンで走ったりしていたが、どうもあまりトレーニングのモチベが湧かず不味いと思っていたところで、元ラグビー部の友人が筋トレを教えてくれるという話になり大学のトレ室に行くこととなった。

昔健康のためと一瞬だけジムに入会していた自分にとって筋トレといえば使い方のよく分からないマシンをまたやるのか、ぐらいのイメージだったが、彼はゴリゴリの筋トレマンで「マシンは不要、フリーウェイト(バーベル、ダンベルを使い軌道が固定されていない筋トレ)をやるべきだ」という持論を自分に教えてくれた。実際フリーウェイトは正しいフォームでやらないと怪我をするのでちゃんと人に教われるのはありがたかったし、ジムに入会する金は惜しく大学のトレ室でタダでやれる点からも積極的にフリーウェイトをやるようになっていった。

いくつかの種目を覚えていく中で登山における筋トレの意義は、「怪我をしない=関節を痛めないための筋力強化」にあると自分は考えた。そこで自分流に組んだメニューは具体的に以下である。(※体重60kg)

❶上部の日=肩関節周りを補強する日、大胸筋と三角筋狙い

ベンチプレス40kg×10rep×3set

ダンベルフライ15kg×10rep×3set、あるいはディップス10rep×3set

ショルダープレス20kg×10rep×3set

サイドレイズ10kg×10rep×3set

❷中部の日=腰関節周り(体幹)を補強する日、広背筋と腹直筋狙い

懸垂計20回→補助バンドありorネガティブ懸垂計20回

デッドリフト60kg×10rep×3set

アブローラー10rep×3set

ハンギングレッグレイズ10rep×3set

❸下部の日=膝関節周りを補強する日、大腿四頭筋狙い

スクワット60kg×10rep×5set

日によっては3setで終わりランジ両足各10rep×2setずつ、あるいはブルガリアンスクワット片手15kgずつで同set

といった具合である。トレーニーからしたらオモチャみたいな重量だが、このメニューで週3で組めるようになるのにもかなり時間がかかった。しかしこのおかげか、登山で多い関節トラブルは一度もなくアコンカグア(とその後のチャリ3300km旅)まで終えられたので確実に設定した意義を満たすことは出来ていたと思う。

この頃測ったinbody 筋量は増え体脂肪率は5.6%まで落ちていた

2022/08/22〜08/29 南アルプス山脈にある百名山全10座を制覇する

さて夏も終盤に差し掛かり、ある程度身体が出来上がってきた所でプレ・アコンカグアとしては最大のイベント「7泊8日南アルプス全山縦走」に出かけた。

夜叉神峠から入り畑薙ダムに降りるまで、136kmの山道を8日かけて歩いたのだが、詳しい行程を書いていたら1つのブログになってしまうのでここではアコンカグアに通ずるような何を得たのかについて書くことに終始する(ルートや写真にもし興味があれば Twitter南アルプス from:eiheideichein で検索すると出てきます)

・歩荷力

歩荷(ボッカ)とは、重い荷物を担いで山へ上げる仕事をする人あるいは行為のことである。ここでは1週間分の食料、行動食、テント、寝袋などを含め計25kgを65Lのザックに背負って歩いた。最初はキツかったが、段々とパッキングによって重心を変えたり、ザックのベルトを調節して負担を分散できるような背負い方を習得していった。

・長時間行動力

上記の理由からとても軽快な山行は出来ず、また南アルプスは小屋と小屋の間隔が異常に長いことから必然的に行動時間は1日14-15時間となった。毎朝1時に起きて飯を食って2時に出発、着くのは夕方頃でそこからテントを張って飯を食って寝る生活を続けた。これはアコンカグアでのアタック日を想定した行動時間である。アコンカグアでは高度6000mという非常に酸素が薄い所からアタックをスタートすることを考えると、日本の山ではこれぐらいの行動時間が苦にならないぐらいの体力は必要だったかなと思う。

・水分管理力

南アルプスはとかく水場が少ない。次の水場までにどれぐらい水を汲んでおけば大丈夫なのかの計算は難しく、特に1泊ビバーク(不時着で小屋で無いところにテントを張ること)を挟んだ時は翌昼の水場に辿り着くまで口渇で幻覚を見かけた。これもアコンカグアで必須のスキル。

他にも色々とあったのだがアコンカグアに大きく生きたのはこの3つだと思う。実際アコンカグアだけでなくサバイバルそのものへの処理能力もここで大いに学んだし、1週間山で過ごすことが出来れば大抵の状況には耐えうるなと思うぐらいには人間として強度が上がった山行でもあった。非常にやる価値は大きかったと思う。

【まとめ】

・ランニングはたまにランニングマシンで走るのみでサボり気味

・そのぶん筋トレの素地を作り、また積極的に山に出かけ(上記南アルプス以外にも表銀座槍ヶ岳を登ったりしている)長日数、長時間行動を意識した山行を行った

 

〜秋 地獄の120kmマラソン(9-11月)〜

南アルプスより帰還し、京都はすっかり涼しくなり始めていた。山も街もバッチリ紅葉シーズンで出かけたい所だったが、そろそろアコンカグアに向け登山道具を揃え渡航費用も貯めなければならないことを考えるとバイトはすれど外出は一度も出来なかった。という状況になっても金がかからず出来るのがランニングの良い所だ、ここで本来のトレーニングの軸であるランニングにじっくり腰を据えて打ち込むこととした。

この頃にはランニングも自分でメニューを組んでやれるようになっていた。基本となった週のルーティンは

①10kmペース走

②1時間走

③インターバル走1km×5本 or トレイルランニング

④もう一度10kmペース走

の週4ランニングである。ポイントは②で筋持久力をつけ、③で心肺機能向上を図り、①→④の縮まったタイムで1週間の成果を可視化することで日々のモチベーションに繋げたという所である。

具体的にはこんな感じで1週間でも結構伸びがあるのが見て取れる。これに加え月に1回のフルマラソン、1回のハーフマラソンを行い、その前後は上のルーティンに穴を開けて休んだので概ね月間走行距離は200km弱といった所であった。いきなりこのメニューを組んだら確実に怪我をしていたし、半年かけてきた下積みが功を奏していたと思う。(サブ3を狙うランナーならこれでもヌルいぐらいだと考えるとサブ3ランナーは本当に尊敬に値する。)

具体的なランニングの目標は10km40分切り、ハーフマラソン1時間半切り、フルマラソン3時間半切り(サブ3.5)の3つを達成することだった。最終的に自分は10km39分36秒(3:57/km)、ハーフマラソン1時間29分55秒(4:16/km)と前者2つは達成したが、サブ3.5はフルマラソンの30km以降に来る枯渇にうまく対処できず達成は出来なかった。キリマンジャロ後輩と話したが、「アコンカグアに登るためにどれぐらいの体力がいるのか?」という質問にランニングという分かりやすい基準で答えるとしたらこの辺りを目標に設定しても良いんじゃないかと思う(勿論競技自体違うのでまあ関係ないっちゃないが)。

この時期は週4のランニングに週3の筋トレと週7でトレーニングを行っていた。元より本気だったが、この時期に南米行きの最終的な覚悟を決めたように思う。

 

こういった日々のトレーニングをこなす中で秋シーズンのラスボスとして設定したのが、弊学の寮主催のイベントである「エクストリーム帰寮」というイベントだった。

これは京都の熊野にある寮から車で各地へ飛ばされ自分の足だけで寮へ帰る、というシンプルな催しであるのだが面白いのは「飛ばされる距離を自分で申告出来る」という点にある。5km、10kmで夜の散歩感覚を楽しむ人もいるし、20-30kmでも歩くとなればそれなりにキツい。ここで自分とキリマンジャロ後輩は「今回の大会最長距離でお願いします」と申告し、120kmの帰寮をすることが決定した。

豊岡→亀岡の軌跡

深夜4時、降ろされた場所は兵庫の豊岡。出発時は自信に溢れていたのだがフルマラソンを遂行した時点でまだ福知山だと分かった時はとんでもない距離を申告してしまったか、と焦燥を隠せなかった。

その後は国道9号に接続し、緩やかだがアップダウンの続く道が容赦無く脚を痛めつける。またこのエクストリーム帰寮のルールとして財布を持っていってはいけない、というものがあるため事前の補給品以外のものを飲み食いするわけにはいかず、コンビニのトイレや公園の水を飲んで渇きを凌いだ。極限環境においては辛いと言っても誰も助けてはくれず自分の道具と脚で進むしかない、ということを考えるとアコンカグアの訓練として再現性は十二分にあった。

最後の方は脚を引き摺りながら歩いていたため1時間で2-3kmしか進むことが出来なかった。最後の亀岡→京都市内の峠越えはグラン・キャナレーター(アコンカグア最後の難所)にすら思えたが、22時間をかけなんとかゴールした。涙が出るほどキツかったが、この1年で最も辛く達成感のあったトレーニングが終わった。

2022/11/26 120km完走後

【まとめ】

・ランニングも筋トレも夏までに作った素地を活かし、ガチガチにメニューを組んでそれを遂行することに賭けた

 

〜冬 雪山訓練で最終調整(12-1月)〜

2022/12/04 富士山・剣ヶ峰(3776m)にて

エクストリーム帰寮より1週間後、いよいよ冬山シーズン到来ということで我々は初冬の富士山へ来ていた。

アコンカグアへ登るのは2月、向こうは夏山だが6000m以降は万年雪が積もっており、また天候によってはベースキャンプのある4000m付近からずっと雪山登山だ。しっかりとした雪山登山の知識をつけるため、ヒマラヤ・アンデスの登山に詳しい国際山岳ガイドの平岡竜石さんにアポを取り富士山で雪山訓練をつけてもらった。

ryusekiexpeditions.com

具体的には雪上でのアイゼン装着時の歩き方、滑落しそうになった場合のピッケルを使った滑落停止の仕方、雪上でテント泊する際に注意する点などを教わった。いずれも具体的にやってみないとイメージがつきにくいことで、これを実績のある人に教えてもらえたことでアコンカグアでの山行を鮮明に想像できるようになった。

また山に関する話もワクワクするものが多かった。平岡さんは大学3年次にヒマラヤ・シシャパンマ(8027m、世界第14位の高峰)に挑戦しているが、当時は関東の大学山岳部でやる気のある人達が大学の垣根を超え海外峰への夢を語り合う機会が多くあったそうで、昭和の山男達が強い理由も垣間見えた。

2022/12/25 赤岳(2899m)頂上にて

一通り雪山知識を教わったのち、次にそれを一人で再現できるか確認するために夏道を見知っている南八ヶ岳に出かけた。

行程は行者小屋で1泊テント泊し、文三郎尾根から赤岳、その後横岳、硫黄岳と縦走し赤岳鉱泉へ帰ってくる一筆書きのコースである。

アコンカグアでは高山病を防ぐために1日5-6Lの水を飲まなければならず、またこの水分量を雪を溶かして煮炊きしなければならない。テント場ではそういった具体的なシミュレーションをしつつ現地での献立を考え、歩行中にはしっかり一歩一歩アイゼンを効かせ教わったことを確かめながら事故のないように、また装備に関して不足がないかをひたすら考え続けた(この辺りは次の準備編で書けたらと思う)。

2023/01/13 後立山連峰鹿島槍ヶ岳(2889m)にて

そして最後の訓練の舞台に選んだのは北アルプス鹿島槍ヶ岳である。

実際は南八ヶ岳で確認は終わっていたのだが、ここではアコンカグア登頂を更に安全に盤石なものにするために踏み込んだテーマを設定した。具体的には以下の2点だ。

・ルートファインディング・ラッセルの練習

トレース(踏み跡)が無い時は自分でどのルートを辿るのが良いのかを見極め、その上で自分で雪を踏み分けていかなければならない(ラッセル)。それゆえあまり人がいなさそうなこの鹿島槍ヶ岳を選び、膝上程に積もった雪を一歩一歩踏みしめていった。これはトレースがある場合より数段体力を使うが、アコンカグアでは今シーズン雪が多く最終ラッセル勝負になるかもしれないという情報を仕入れていたためやっておく必要を感じた。

・状況を見たアタックの判断

人があまりいないということは勿論それだけ危険が伴う。特に雪崩には気をつけねばならず、昼を過ぎて太陽光が雪面に当たると表層が溶け雪崩が起きやすくなるため、朝早く雪が締まった時間帯にアタックを行う。しかしそれ以外にも雪崩の発生する条件は多く素人どころかプロでも判断しかねる状況もあるので、注意できるポイントは事前に予習しその判断を真似るようには努力した。

道中の布引山より見た立山連峰 冬の北アは想像を絶する美しさだ

【まとめ】

・日々のトレーニングは秋からの継続で週7がもう染み付いており、体力に関してあまり心配はなかった

・冬山の知識をつけ、出来るだけ安全な山行ができるよう注力した

 

 

これにて1年間のトレーニングは全て終了。

本来登山はゆったり自分のペースで、徐々にレベルアップしていくものだしこんな詰め込み式のトレーニングは必要ないと思う。が、1年真剣に打ち込んだという過程はアコンカグアに登っている瞬間そのものと同じぐらい価値があったと感じている。

もし何か感じ取って貰えるところがあれば嬉しいです。